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人はなぜ悩むのか

我が家の庭(畑?)に遊びにやってくるネコもキジもカラスも・・・
人間ほどには悩んでいる様子はないんだよなぁ。

ましてや「自分自身」について

「俺はいったい何をやっているんだ(>_<)」
「私はほんとにダメなネコなのよね(T_T)」

などと、きっとあれこれ考えてたりなんてしないのだろうなぁ・・・

人は大脳が発達しすぎて、本当はとっても単純なことさえも
あれこれ難しく考え込んだりしてしまう動物なんだろうなぁ。



庭にやってくる彼・彼女たちをぼ~っと眺めながら
そんなことを思う今日この頃。。




>>>


さて、この「悩む」ということ。

最近の自己啓発ブームで、「悩む」「迷う」「苦しむ」「悲しむ」・・・
ということが
必要以上に悪者扱いされているような気がしています。


う~ん・・・

誤解を恐れずに書くと
いつもいつも常に頭の中や心の中が、ハッキリ・スッキリ!!
なんていう状態だったとしたら
私はそっちのほうが少し心配になったりするのですが。。(^_^;)


だって私たちは
ボタンひとつでいろいろなことを理解して
いつも正確に動くロボットとは違う、
「人間」なんですから。。


悩んで迷って当たり前だし、苦しかったり悲しかったりしたって
それは当り前の反応で、そして心は揺れるもの。

悩む自分、迷う自分、苦しんでいる自分、悲しんでいる自分は
楽じゃないし、楽しいわけじゃないし、嬉しくもないことだけれど、
でもそんなに自分で思うほど、ダメなんかじゃないのですよね。



悩んだり、迷ったり、苦しいと感じたり、悲しいと感じたりするのには
ちゃんとその人にとっての大切な意味があるのだなぁ・・・と
よく思います。

怪我をしたときにカラダが「痛い」と感じてくれるから
怪我してることに自分が気づける・・・のと同じように
感じることは、何か大切なメッセージを
私たちの意識に伝えてくれているのではないかなぁ。。


気がつくと
そんなことをよく考えていたりする私です(^^ゞ






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【2013/01/14 12:08 】
その他
頑張らない介護へ。。
同居していた義母が硬膜外血腫で入院したのは
もう何年も前のことになります。

畑に行くと出て行ってからしばらくして
近所の人が「おばあちゃんが倒れた」と呼びにきたことを
昨日のことのように覚えています。

三か月ほどの入院生活で義母の痴呆も進み、
全く立てない、支えがないと座れない状態になってしまいました。

病院の先生や看護師さんたちからは
『家で介護するのは大変だから、、』
と、転院を勧められたのですが
どうしても家に帰してあげたくて、在宅介護を選びました。



やっぱり私も、最初はとても不安でした。

 在宅で、、とは決めたものの、いったいどうしたらいいんだろう?
 手続きとかはどこで何をしたらいいの?
 在宅で介護するのに必要なものって、、??
 費用はどうしよう、、、

わからないことをわからないままグルグルと思い悩んでいても
不安は募っていくばかり(^^;

たまたま友達が介護士をしていたことや
病院で同室だった、我が家のおばあちゃん以上に大変そうな方のお嫁さんが
とっても前向きな自宅介護をされていて
『病院よりも家にいてもらった方が安心だし楽なのよ♪』
と笑顔でおっしゃっていたのもあって
私の心構えもどんどん前向きになっていきました(^-^)



☆おばあちゃんが帰ってきてから心掛けたこと。

 1.誰になんと言われようと、『介護は大変』と思わないでいよう。

   大変かどうかなんて、やってみなくちゃわからない。
   (『認知』の仕方でこんなにも人間は気持ちが楽になるんだなぁと、身をもって知りました)



 2.自分で何もかもやろうとしない。
   家族みんなで介護しているんだという気持ちを持ってもらう。

   退院する前からそのことについて家族としっかり話し合いました。
    (介護の担当チーフ(笑)は私だけど、皆もその時にできることをやってもらう)


 
 3.自分や家族だけで何もかもやろうとしない。

   仕事を辞めておばあちゃんの介護に専念しようか、、と迷いましたが
   デイサービスやヘルパーさんを利用させてもらって、私は仕事を今まで通り続けることに
   しました。
  
   おばあちゃんの口座から費用を引き出すことができなかったので
    (キャッシュカードがなかった)
   介護費用はすべて夫と私からの出費になりましたが、
   それでも今までとなるべく変わらない時間を過ごせたことは
   精神的にものすごく良かったと思っています。
    (お金を取るか、精神的な安定を取るか。介護は先の見えない長期戦です。
   精神的な安定を取った方が必ず勝ちます! (^.^)/~~~) 



 4.おばあちゃんにも我慢してもらうときは我慢してもらう。

   これが一番大切なのではないかと私は思っています。
   介護する側が『100%自分の責任で頑張ろう』と思ってしまうと、
   いつしか『被害者意識』が芽生えます。

   介護は自分のやったとおりの成果がなかなかでないものです。
   育児とは正反対の方向へ進んでいくものだ、、と思っておいたほうがいいかもしれません。
   いつしか、『こんなに私は頑張っているのに』という感情が生まれ、
   それが『どうして私ばかりこんなに辛い思いをしないといけないの』という感情に変わり、
   体の事情で立つことも座ることもできない人に『もっと頑張ってよ、自分のことでしょう!』
   と一瞬思ってしまったり、
   認知症の進んでいく人に、『どうして私の言ってることがわからないの!』
   と感情的になってしまったりしてしまいます。

   これらは全て、100%自分の責任で頑張ろうとしてしまった結果の
   『被害者意識』からきているものです。
   介護をしようと決意したとき『私にできることはやろう』と決めたのは自分のはずなのに、
   いつしかそれを忘れてしまいます。(でも、それは無理もないことですよね)

   自分が『被害者意識』に支配されない為にも、
   介護される側の人にも我慢してもらいましょう。
   デイサービスを嫌がる人にも我慢して行ってもらいましょう。
   オムツなんて嫌だ!と言う人にも我慢してもらいましょう。(オムツをとってしまう人用の
   パジャマもあるそうです。 ※頑張れば介護用トイレに座れそうな人には頑張ってもらい
   ましょう。それでも夜はなるべくパンツ式オムツにしてもらうといいと私は思います。) 
   ショートステイ(短い期間入所させてもらえる)にも我慢して行ってもらいましょう。
   心に罪悪感を感じてしまうかもしれませんが、それはそれとして大切にして、
   それでも我慢してもらいましょう。



 5.何でもいいから『よしっ♪』と思える何かを持つ。

   わかりにくいですよね(^^;
   えーっと、私の場合なんですけど
   『紙オムツをいかにまっすぐ正確にあてることができるか』ということにこだわって
   上手くいったときには『よしっ♪』とガッツポーズをしていました(^-^)
   なんでもない単純なことなんですけど、たったこれだけのことでオムツ替えが少し楽しく
   なりました。
   それと、『いかにお値打ちで横漏れの少ない夜用オムツを入手するか』にもこだわりました。
   いいものが見つかったときは『やったぜ、ベイベー♪♪』という気分になりました(^-^)
   そんなことを毎日聞かされる夫はどう思ったか知りませんが(笑)、介護でくたびれて
   いつも毒を吐いてるみたいな奥さんよりもずっと良かったんではないかな。。と思います。




介護する側の被害者意識からくるイライラは、必ず介護される側にも伝わります。
そうなると、認知症の人はとくに症状がひどくなったりしてしまいます。
悪い感情の悪循環で、皆が被害者意識を持ったまま
なんとも暗く重たい毎日になってしまいます。


要はバランスだと思うのです。
介護される人も含めて家族全員の『持ちつ持たれつ』だと思うのです。
そして我慢してもらったら『ありがとうね』という感謝の気持ちを持つこと。
それがとっても大切です。

嫌がる人に我慢してもらうなんて、私にはとてもできない、、、と思う人がいるかもしれません。
でも、その考え方(認知の仕方)をほんの少し変えてみると
噛合わなかった歯車がうまく回りだすこともあるのです。



やらずに苦しむより、やってみてから考えてみませんか?
それでどうしてもダメだったら、またそのときに考えればよいのです。

ケアマネージャーさんや介護士さん(百戦錬磨のプロです♪)に
どんどん相談に乗ってもらいましょう。
インターネットの掲示板で同じような状況の人と話してみましょう。
介護問題も扱っているカウンセラーに気持ちを聴いて貰うのもいいと思います。



『こうしなければいけない』
『こうであるべき』

という気持ちをほんの少しとっぱらってみませんか?
それだけで随分気持ちが楽になって、あなたの笑顔でいる時間が増えます。

あなたが笑顔で接することが、
良い介護の一番の得策だと私は思うのです(^-^)







【2012/12/10 01:13 】
介護
恋愛の神様   ~2005.10月のブログより
恋愛のはじまりは楽しい。

輝くような季節を、いつのときも自分に運んできてくれる。
その人と出会えたことの嬉しさで胸がいっぱいになって、
自分で自分を抱きしめてあげたいくらいになる。

その人と一緒にいられるだけでドキドキときめいて
その人の声を聞くだけで心が温かくなり
その人にかかわる全てのものに触れるだけで
なんて自分は幸せなんだろう。。と心からそう思う。

恋愛は、世界中のものすべてをバラ色に変えていく魔法のようだ。



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でも、
『恋愛の神様』は、いつもいつも優しいわけではなくて
悲しみや孤独も一緒に運んできたりする。

先の見えない恋をしている人もいれば、
始まりの頃のときめきがなくなって
この恋をどうしようか思いあぐねている人もいる。
相手の心が見えなくて、悲しい思いをしている人や、
叶うことのない恋を選んでしまった人もいる。。。

楽しかったはずの恋愛なのに
いつのまにか悲しみや孤独や苦しみに変わっていってしまうことを
きっとたくさんの人たちが知っている。


でもどうか、
『その人を好きになったこと』を、悲しまないで。
あなたが人を好きになったこと、
悲しかったこと、孤独に思ったこと、苦しいと感じたこともすべて
後悔しないで。

あなたが自分の意思で
その恋をどうしていくのか決めたときから、
きっとその恋は、あなたにとっていいものに変わっていくよ。
たとえ終わってしまう恋でも
始めることさえできなかった恋でも
きっとあなたを素敵な人にしてくれる。


これでもかって言うくらいたくさん泣いたら、
さあ、涙を拭いて。
この恋をどうするか自分の心に決めていこう。
そして、立ち上がろう。

『恋愛の神様』は、立ち上がろうと心に決めたときから
あなたに手を差し伸べてくれるのです。






【2012/12/10 01:12 】
恋愛
子育てが辛いと思う、お母さん、お父さんへ
子育てって、難しいことたくさんありますよね、

よその家庭と同じように育てているのに
どうして上手くいかないんだろう、
愛情をもって接しているはずなのに
何でこんなふうにいつもなってしまうんだろう、、

私もそんなことをずっと思いながら
子育てをしてきました。



子どものことで誰かに何かを少しでも言われたら
まるで自分を責められているように辛くて
上手くいっていない現実とのギャップで
不安で不安で押しつぶされそうになっていました。




『なんとかしなければ、この子は幸せに生きていけないのではないか』


よその子どもではなく、自分の子どもであるからこそ
親であるからこそ、そう思ってしまう。
大人になっても幸せに生きていって欲しくて
『今を何とかしなければ、、、!』
と思ってしまう。

そんな、お母さん、お父さんの気持ち
まったく同じではないかもしれないけれど
わかります。


>>>

同じような環境で、同じように子育てをしていても
思うようにいかない親子もやっぱりいるのです。

だから、なかなか上手くいかなくて
毎日毎日悩んでいるお母さん、お父さん、
どうかあまりご自分を責めたりしないで下さいね。


心にゆとりがなければ、たとえ我が子であっても
優しく接することなんて、なかなかできないですよね。

でも、
『ゆったりしなければ』
『おおらかでいなければ』
と思っても
そんなふうに思えないことだって
人間だからあると思うんです。


一人で悩んで苦しかったら
出口が見えなくて辛かったら
誰かにSOSを出してくださいね、

もしもそういう人が身近にいなかったら、
カウンセラーにいつでもSOSと言ってくださいね、


昔の人たちは、たくさんの人たちの知恵と工夫と愛情で
子育てをしてきました。
一人で子育てをしなければ、、と思わなくても大丈夫。
子はみんなの宝物。助けを求めていいのです。


いっぱいいっぱいになったあなたの心に
少しずつゆとりの隙間が空いてきたら
きっとお子さんの心も見えてきます。
今、何をしていくかが見えてきます。
そして、不思議とお子さんも変わってきます(^-^)

子どもが自分を好きでいられるように
たくさんの人たちと工夫しながら
育てていけばいいのです。
自分を好きでいられるということが
生きるための大きな力になるのです。


だから、お母さん、お父さんも
ご自分のことをそんなに責めないで。
まずはお母さん、お父さん自身の心を労わって下さいね。

一緒に子育てしていきましょう(^-^)



【2012/12/10 01:11 】
子育て
こだわりの視点から見えてくるもの
私は長いこと、事務の仕事をしてきたのですが
いろんな人たちが集まっている事務所では
毎日いろんなことが起こります。

例えばたった一枚の書類のことで
ピリピリした空気になってしまうことも
あったりするのです(^^;




・・・

法的?にはそんなに重要ではない社内書類を書き間違えたとき

『適当に二重線で消して、書き直す』
人もいれば
『修正ペンできっちり消して書き直す』

人もいます。


前者からしてみれば
『そんなことにいちいちきっちりしてたら時間がもったいない。わかりゃいいんだ、わかりゃ』
と思っちゃったりするでしょうし

後者からしてみれば
『そういうことをきっちりしとかないと、気持ちよくその後の仕事をすることができないじゃないか。
正確さ(美しさ)、スマートさが重要なんだよ』
ということなんだろうなぁ~と思います。


どちらの考えが正しくて、どちらの考えが間違っている
ということではないんですけど
お互いの『こだわり』のある場所が異なっているので

「なんだよアイツ~」

なんてことになってしまうんだと思います(^^;



人にはいろんな『こだわる視点』があることを頭の隅っこにちょこんと置いて
周りの人たちを観察してみると
憶測で相手の行動を自分と関係付けて、勝手に憤慨していたことに気づいたり
人間観察が面白くなったりするんじゃないかな。。

などと思っています(^-^)





【2012/12/10 01:09 】
人間関係
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