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人はなぜ悩むのか

我が家の庭(畑?)に遊びにやってくるネコもキジもカラスも・・・
人間ほどには悩んでいる様子はないんだよなぁ。

ましてや「自分自身」について

「俺はいったい何をやっているんだ(>_<)」
「私はほんとにダメなネコなのよね(T_T)」

などと、きっとあれこれ考えてたりなんてしないのだろうなぁ・・・

人は大脳が発達しすぎて、本当はとっても単純なことさえも
あれこれ難しく考え込んだりしてしまう動物なんだろうなぁ。



庭にやってくる彼・彼女たちをぼ~っと眺めながら
そんなことを思う今日この頃。。




>>>


さて、この「悩む」ということ。

最近の自己啓発ブームで、「悩む」「迷う」「苦しむ」「悲しむ」・・・
ということが
必要以上に悪者扱いされているような気がしています。


う~ん・・・

誤解を恐れずに書くと
いつもいつも常に頭の中や心の中が、ハッキリ・スッキリ!!
なんていう状態だったとしたら
私はそっちのほうが少し心配になったりするのですが。。(^_^;)


だって私たちは
ボタンひとつでいろいろなことを理解して
いつも正確に動くロボットとは違う、
「人間」なんですから。。


悩んで迷って当たり前だし、苦しかったり悲しかったりしたって
それは当り前の反応で、そして心は揺れるもの。

悩む自分、迷う自分、苦しんでいる自分、悲しんでいる自分は
楽じゃないし、楽しいわけじゃないし、嬉しくもないことだけれど、
でもそんなに自分で思うほど、ダメなんかじゃないのですよね。



悩んだり、迷ったり、苦しいと感じたり、悲しいと感じたりするのには
ちゃんとその人にとっての大切な意味があるのだなぁ・・・と
よく思います。

怪我をしたときにカラダが「痛い」と感じてくれるから
怪我してることに自分が気づける・・・のと同じように
感じることは、何か大切なメッセージを
私たちの意識に伝えてくれているのではないかなぁ。。


気がつくと
そんなことをよく考えていたりする私です(^^ゞ






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【2013/01/14 12:08 】
その他
性格ってなんだろう
『性格』っていうのは玉ねぎの皮みたいな構造をしているのだそうです。


一番中心にあるのが『気質』

もって生まれた性格。

いろんなことに反応してなかなか寝ない赤ちゃんもいれば
どんなときでもぐっすり眠る赤ちゃんもいる。。
周りの環境、育て方などとは関係のないその子自身の持っているもの。


その周りにあるのが『狭義の人格』

幼少の頃に養育者の育て方によって作られた性格。

この狭義の性格は、大人になってもなかなか変わることはないそうです。
ただ、その性格を上手に活用していくことはできて
それができるのは養育者ではなく、自分自身。


その次の層にあるのが『習慣的性格』

ここが一番大切な『性格』の層で
本人の努力次第でどのようにも変えていくことができます。

「人に対する接し方の習慣」。。と言った方がわかりやすいかも。
人と肩がぶつかったとき、どんな対応をしますか?
「ばかやろう!気をつけろ!」
という人もいれば
何も言わないけどムッとする人もいるし
「ごめんなさい」
と謝る人もいる。
『人とどうかかわるか』というのが『習慣的性格』なのだそうです。


そして一番外側にあるのが『役割的性格』

時・場所・状況によって変わる性格。

堅物上司と接しているときに友達でいるときの自分で接したら
きっと上司を怒らせてしまうでしょうし、
近所のお母さんたちといるときに職場で真面目に働いているときの自分で接したら
なんだか堅物だよね。。なんて思われてしまうかもしれません(^^;

ほんとはテンションがあまりあがってないのだけど、周りの空気を考えたら明るく振舞った方が
いいよな。。というときもあるでしょうし、
ムカついてもぐっと我慢したほうがいいときだってあります。

社会に上手に適応していく為にあるのが、この『役割的性格』で
この性格があるからこそ、世の中が平和に回っていくのです。
大人になる、、というのは
この『役割的性格』を(無意識的・意識的に)上手にコントロールできているということなのです。
それができる自分を
『自分って大人だよな。カッコいいよな』
と褒めてあげて欲しいなぁと思います(^-^)



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『本当の自分の性格って、、?』と思い出したときから
自分がどこにあるのかよくわからなくなってしまうことがあります。
私もかつてはそうでした(^^;


そんなとき、スーパーバイズを受けている先生に

『感情に間違いというものはないのです。あなたの感情は、あなたのものなのですから・・』
 
と言っていただいて、
自分をだんだん取り戻していくことができました。



気質も、狭義の人格も、習慣的性格も、役割的性格も
全部ひっくるめて『自分自身』

今はピンとこなくても
このことを頭の片隅にいつも置いて過ごしているうちに
ある日
『あっ、、このことなのかもしれないな。。』
と思うときがきます。

「今の自分」を受け入れたときから
『自分はちゃんとここにいる』という感覚が、また戻ってくるのだと思うのです(^-^)



【2012/12/10 01:08 】
その他
ほんとの気持ち
人の心の中には

嬉しい気持ち、悲しい気持ち
楽しい気持ち、怒っている気持ち
安心な気持ち、不安な気持ち…

いろんな気持ちが存在していて


一つの気持ちでいっぱいになっていることもあれば

いろんな気持ちが一緒くらいの大きさで
同居していることもあったりします。



「嬉しいんだか悲しいんだか、なんだかよくわかんないや」


そんな気持ちになったことのある人も
たくさんいるのではないでしょうか(^-^)




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さて


どうもそんな「気持ち」には

表側に出てくるものと、裏側に隠れているものが

ときどきあったりする…らしいのです。



なぜなのかわからないけれど
いつもイライラしてしまう。
怒りをぶちまけたくなってしまう。

その怒りを鎮めようといろんなことをしてみるけれど
いつまでたってもそのイライラや怒りは
自分の心を離れない…



いつも不安で仕方がない。
不安で、恐くて、逃げてしまう。
なんだかとても苦しくて悲しい気持ち…

悲しい気持ちを癒そうと、いろんなことをやってみても
やっぱり不安は変わらない、
恐くて逃げたい自分は変われない…



そんな怒りや不安、悲しみの裏側には
もしかしたら、「他の気持ち」が隠れているのかもしれません。


出てくる気持ちをおさめよう、癒そう…としても
何度も何度もその気持ちが湧き上がってくるのは

『違う気持ちが裏に隠れているんだよ』

という、心からのメッセージなのかもしれません。




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自分で自分の気持ちをわかる

誰かに自分のほんとの気持ちをわかってもらう


それだけで
ざわついていたり、悲鳴を上げていたりした心が

すっ…と楽になることもあるのです(^-^)









【2012/12/10 01:07 】
その他
答えのないもの (2009年3月の日記より)
いろんなことをよく考えるけれど
答えがすぐに出そうにないものは

なんとな~~く、ぼ~~っと
考えているようで考えていないような・・・

そんな感じにしておくことが多いです。



一生懸命考えて、唸ってみたところで
なかなかスッキリした答えが見つからないなぁ…というとき、
そのまんまにしておくと、ある日ふと答えらしきものが見つかったり
方向が見えてきたりすることがあったりします。

そもそもスッキリした答えなんて「ない」ものもあって、
自分がどこで折り合いをつけるか、
そのことに上手くつきあっていくか、
諦めて、手放せるか、
そっちのほうがずっと実現できるものであったりも
するんですよねぇ。。



ネコとか犬とかを見ていると
答えのないものについて悩んだりはしないんだろうなぁ…
とも思います。
いつも悩んでいるネコや犬・・・
見たことないもんなぁ(苦笑)




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人間は前頭葉が発達している分、
考えると苦しくなるのに考えて悩んでもがいちゃうんでしょうね(^^ゞ



「頭で考えることだけが、答えを見つけることではない」


そんなふうに考えられると
もしかしたらもっと楽に生きられるのだろうか。。


そんなことをふと思った私です(^^ゞ





【2012/12/10 01:02 】
その他
思考と感情
「思考と感情の違いを述べよ」

産業カウンセラー養成講座で出された課題です。


私は○○である
私は○○でありたい
私は○○したい

という思考があったとして、
それがその人の「感情」とイコールなのか・・・というと
そうじゃないことがあったりします。


○○だと思っているのに
○○であるのに
○○しているのに

心にもやもやが残って、何か不完全燃焼な気持ちになるのは
もしかすると
「思考」と「感情」が食い違っているのかもしれません。



我が家の敷地内にはネコやキジや、いろいろな動物がやってきます。

彼らを見ていると
私たち人間のように「思考と感情が違う」・・・っていうややこしい状態は
ないんじゃないのかなぁ・・・なんて思うことがあります。


小さな子どもの頃は
きっとネコやキジや、いろいろな動物たちのように
「思考」と「感情」は同じだったのかもしれません。

少しずつ大人に向かっていくうちに
気がついたらズレていってしまうことがあるのだろうなぁ・・・と
自分のことを振り返ってみても、
いろいろな人たちを見ていても、思ったりしています。



だからといって
「思考」はダメ ということでは決してありません。
今感じている「感情」が、絶対に間違いなく現実に即したものである・・・
ということでもなかったりすることだってあります。


それに迷ったり悩んだりすること、気持ちがモヤモヤすることは
良くないことかというと、そうではなかったりもします。


もしも何かのメッセージなのだとしたら・・・
と考えてみると
浮かんでくるのはどんなことでしょうか。

そして、今の自分が変えられるものと変えられないものは
いったい何なのか
整理してみるのもいいかもしれません。



感情は意思や意志ではなかなか変えることはできませんが
こうしてみようと考えて決めることや、行動は変えられます。


環境は変えていくことができます。
環境が変わって、見えるもの、聞こえるもの、触れるものが変わってくると
心の持ちようも変わってきたりします。



○○でありたい
○○したい

という「思考」の高さとギャップがあるなぁ・・・と感じるのなら
「今はここまでを目指そう」というところを
もう少しだけ低いところに決めてみてもいいかもしれません。

etc.



そんなことをしながら、何かやっているうちに
どこかに飛び込んでみるうちに
ふとしたことで何か今までとは違ったものが見えてきたり
聞こえてきたり
感じることができたりすることだってあるのです(^-^)



モヤモヤしたなりに、悶々としているなりに
今までそれでずっときているのだとしたら
今までとは違う環境に身を置いたり行動を変えようとすることには
勇気とエネルギーがたくさん必要になるかもしれません。


カウンセリングルームは
そんなことをクライエントさんと一緒に考えたり探したり
クライエントさんのペースに沿った作戦を練ったり、
エンパワメントしていく場所でもあるのです(^-^)





【2012/12/10 01:01 】
その他
「同じ」ということ 「違う」ということ
この間、いつも行っている相談活動の現場で
発達障害の子たちと学校のあり方などについて話題になりました。

我が家の息子(今年から高校生)はADHD(注意欠陥多動性障害)という特徴を持っています。
小さかった頃は、どうしてそんな行動をするのかわけがわからず
途方に暮れる日もたくさんありました(^^ゞ
それでも15年間も付き合っていると、
彼特有のモノの捉え方や考え方があるんだということが
手に取るように?わかるようにもなってきました。

でも、ADHDをはじめとする発達障害を持った子どもさんたちと
接する機会のない人やたまにしか接しない人たちには、
知識ではなんとなくわかっていても、実感としてはわからないことだらけなんだなぁ
ということを
仲間の人たちと話していてとても感じました。



ADHDの特徴を持っている子たちと、そうではない子たちとは
「発達障害の有無」という括りでそれぞれに分けられるのですが
じゃあ、ADHDの子が皆同じ行動様式や考え方をするのか…といったら
まったく違う部分もたくさんあったりします。

そんなことは当たり前だと頭ではわかっていても
ついつい「発達障害」という名称にとらわれて、そのことを忘れがちになったりしてしまうんですよね(^^ゞ


その子その子にあった指導方法や支援の在り方を
たったひとりの先生がしていくことの大変さもあるということを
教員経験のある仲間から聞いたりと、
同じ枠で括れる部分もあれば、括ってしまうと見えなくなる部分があるんだということを
仲間との話の中であらためて感じました。




このことは、私たちカウンセラー・相談員もよく理解していないといけません。


うつ病・対人恐怖症・摂食障害・アダルトチルドレンetc.


症状や状態に名前をつけて、大きな同じ枠で括る必要は確かにありますが
それでも、その「同じ」枠にばかりとらわれてしまうと
クライエントさんひとりひとりのことが見えなくなってしまいます。


また、喪失の悲しみや苦しみに辛い思いをされている方たちが
どの過程にいらっしゃるのか…を知ることもとても大切なことです。

起きてしまった(失くしてしまった)事実を否認している過程なのか
どうして自分がこんな目に合わなくてはいけないのか…と怒りの中にいる過程なのか
後悔と懺悔の過程を過ごされているのか
あきらめの境地の中にいらっしゃるのか…

同じ「喪失」を体験された方でも、どの過程にいらっしゃるのかで
まったく心境も状態も異なるのです。
そして同じ過程の中にいたとしても、その人その人でまた違います。



色々な症状・状態についての知識を持っていることはとても大切なことですが
知識を持ったうえでクライエントさんの「個別性」にしっかり目を向けて、感じて
そのときそのときのクライエントさんに必要なものを提供させていただけるようにすることが一番大切なことなのだと
自分自身、たくさんのクライエントさんや利用者さんたちから教えて頂きました。




「同じ」ということ・部分と、「違う」ということ・部分を
知ろうとすること、感じ取っていくこと。

私たちのような仕事や活動をする人たちは
いつも心に留めておかなくてはいけないんだと
自戒の意味も込めて書いておこうと思います。






テーマ:心と身体 - ジャンル:心と身体

【2010/04/02 20:29 】
その他
白か黒か・・・?
NLP(神経言語プログラミング) という効果的なコミュニケーションの方法、
カウンセリング技法があります。

その講座で学んだものに
葛藤の統合 というものがあるのですが


「私は○○したい」 「でも、△△もしたい」
「私は○○したい」 「でも、××だから○○したくない、するのが怖い」

・・・などといったように
相反する二つの望む行動(○○しない・・・という行動も含めて)があるとき
その二つを、その人にとってより良いものに統合していく・・・

ということをイメージの中でしていきます。




この「葛藤の統合」をしていくために、どうしても必要なことがあります。


『人間の行動の裏には、必ずその人にとっての肯定的意図がある』

この意識を持てていることが大事なのです。




「その人にとっての肯定的意図」 というと
なんだかとても難しそうな気がしてしまうんですけど(^^ゞ 


たとえそれが一見マイナスの行動、ネガティブなものであったとしても
その人にとって何か得るものや守ることのできるものがあるから
その行動を選択している・・・

ということなのです。


たとえば

部屋を片づけられないことも
朝なかなか起きられないことも
ご飯を食べたくないと思ってしまうことも
イライラして家族や恋人に当たってしまうことも
過去の出来事に感情が執着してしまっていることも・・・

何かその人自身にとって得るもの、守られるものがあるからなんだなぁ・・・と思ってみると
また違った視点からの気づきが得られたり
八方塞がりだった気分が少し楽になったりすることがあるんですよネ。


人を支援しようとするとき
そのことを理解していないと、支援として成り立たなくなってしまう・・・
ということを
以前に教えていただいたことがあって
今、本当にその通りだな・・・ととても実感しています。


人を支援するときだけではなくて
自分のことを自分で決めていくためにも
とても大切なことのような気がしています。



葛藤している二つの望み、感情に名前を付けて
擬人化してみるのも良い方法だったりします(^-^)


本当に自分にとってダメな、切り捨てないといけないもの?
もしも違うカタチで行動できるとしたら?
○○と△△、両方やっていくことができるとしたら・・・?

そんなふうに尋ねてみたり、話し合いをさせてみたり。。


少し客観的に自分の中の出来事を感じることができるかもしれません(^-^)




『白か黒かじゃなくて、白も黒もとりあえず今は両方』


そんな答えであってもいいような気がしています。






テーマ:心と身体 - ジャンル:心と身体

【2008/08/04 13:09 】
その他
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